Kuala Lumpur, February

 2月4日(水)から2月8日(日)の日程でマレーシア、クアラルンプールに行ってきた。その数日間の記録を残しておく。

 最近得意の夜部屋を出て、モノレールで羽田で深夜便でアジア旅行のパターン。今回はWifiは外付けではなく、SoftBankのサーヴィスを使う。1/31の土曜日に浜松町のSoftBankに自転車で朝、開店と同時に行って色々聞いた。Global Wifiより安かった。

 今年は衆議院選挙もあったので2月2日に台場区民センターで期日前投票も済ませた。図書館でマルチェロ・ムストというカナダの大学の先生が編集にあたった”マルクス・リヴァイバル”という本が届いたというメールが来ていたので、取りに行ったら、取りに行くのが遅れてて、違う人の手に渡ってしまっていた。メール見たらすぐ取りにいかないと。

 今回の航空会社はAir Asia。前回の旅同様、羽田空港のロビーで自分で作ったおにぎり食べた。チェックインして、税関通って、免税店で中国語の会話集買っておく。ずっと買おうと思っていたので免税は助かる。

 マレーシア行きの飛行機の便は大混雑で搭乗ロビーは激混み。殆どアジア系の人だった。難なく8時間のフライトで朝到着。着いた空港のロビーで日記など書いた。

 空港から市内までは確か¥2,000-位で30分位の地下鉄だった気が。さらにちょっと電車乗ってホテル近くの最寄り駅で降りる。

 あ、暑い。一応、暑いだろうなと思って対策取ってきたんだけど、大きい荷物もって移動しているとそれにしても暑い。ジーパンのポケットに入れてきたバンダナが活躍した。

 街のなかをホテルに向かって歩いていると左側にグラウンドのような空き地のような土地があり、ここは三菱が管理してますというしょぼい立て看板が立っていた。あとで見たときはそこにイスラムの頭に巻きものをした子供たちが沢山、わーって歩いてた。なんか三菱もここではいいことしてんだなと思った。

 参加するイベントの関係で知ったTrigo Hotelへ。まだ5日金曜の朝なので、カバンを預け町へ行く。ビルの谷間にテント貼って、お母さんのような人がやっている飯屋で飯。どっちが先だったか忘れましたが、川とKL Towerが入った風景を一枚スケッチ取って、モスクも行く。靴脱いで、足洗って、中に入ると広い部屋に、まばらに男性ばかり、何人か。何度も地面に皆同じ方向を向いて、頭をつける体操のようなものをしていると、だんだん人が増えてきて、そこに、そこにいた人とあまり変わらないような人が皆の前に現れ、何やら祈りの言葉(さっきまでのとは違う)を唱え、今度は、皆で手をつないで何回か地面に頭をつける。終わったら、横にいた人が少し話しかけてくれる。自分が違う宗教であること、割と重い過去の話しても何にも反応しなかった(かすかに好意的だった)。献金はするのか?と聞いたら”ああ、外にBoxがあるよ、したきゃすりゃ良いじゃん”みたいな感じだった。

 “このモスクは警察の横にあるから、旅行中困ったことがここに来ればいいよ”と言ってくれた。正直、東京では考えられない感じだった。

 三菱のCash Card(銀行のじゃない。Master Card)でHotel近くのATMでお金を降ろした。銀行も色々あったんだけど、レートも正直あまり調べず、Public Bankって書いてあるからまあ大丈夫だろと思ってよく見たらISLAMICって入ってた。赤地に白文字で街中いたるところにあり日本でいう三菱UFJみたいな感じ。なんてことなくあっさり25000円程度おろせた。手数料が¥390―カードだし、外貨なんだから良い方だと思う。空港よりは多分全然良い。さすがに闇は知らないし、怖いし、法を犯すのも面倒くさい。

 部屋は最上階の凄い良い部屋取ってくれた。夜、スコール。折りたたみの傘持っていっていたので、その傘で晩飯へ。今回、実は旅行をイベントに重ねてきているので、仲間に挨拶できた。

 2/6(金)

 朝飯、ホテルのロビーで食べる。同じイベントに参加する人と会うことができ、このホテルではないホテルでイベントは開催され歩くと20-30分なのでその人たちが手配したGrabに乗っけてもらう。イベントに行くと日本からの知り合いも沢山来ていて、昼は日本語も話す。昼飯も一緒に食べた。夜はディナーパーティーのような雰囲気だったので、仲間に、この格好じゃどうかな(短パン、サンダル)って聞いたら、ホテルすぐだから歩いて、帰って、シャワー浴びて、着替えて来いよって言われてそうした。大先輩のテーブルで一緒に晩飯食わせてもらって、えらい学びがあった。とにかく緩い人たちだった。

2/7(土)

 この日は昼飯は中華。何か鍋みたいなのに野菜と肉を入れて煮詰める。甘いスープ。その違うホテルで行われたイベントが終わったら、大雨で皆ホテルに足止め食らってしまう。Grab今回は私が手配して皆乗っけた。会社の上司にSambalという韓国でいうコチュジャンみたいなのがあるからかってきてくれと言われていて、何かジャングルみたいなバカでかい倉庫のスーパーみたいなのとか、歩いてえらい探すが、全然ない。へとへとになってセブンイレブンに入ったらなんてことなくあった。夜、Tom Yumとか言ったようなレストランで晩飯。何気にへとへと。

2/8(日)

 確か、2/6(金)の朝にジョギングで目星をつけておいた場所に、今度は、道具(スケッチブック、鉛筆、水溶性色鉛筆、水)をToteBagに入れて、半分ジョギングに行くような恰好で(ジョギングパンツ、ランニングシューズ、T-shirts)向かう。たどり着いて、思い描いていた時間帯、風景だったし、写真はうまく撮れたけど、スケッチはうまく取れなかった。しかし、そのうまく取れなかったスケッチは後々、キャンバスに起こす際には重要な情報にはなった。

 帰ってきてシャワー浴びて時間的に無理かなと思って、場所と時間調べたら、さっきスケッチ取ったところのすぐそばで、しかも、ちょうどいい時間にミサやってるカトリックのメガチャーチがあることが分かった。しかも、ホテルの部屋にいた時点では、その場所がスケッチ取った場所の近くにあることが分からなくて、Grab手配してしまい、女性の仏教徒と思われるGrabでミサに、何かすごい遠回りして向かったら、途中玉突き事故起こしてる奴等がいて渋滞にはまってしまった。ミサは風通しの良い、大聖堂に満員の人たち。何か、清潔で質素な感じの人たちだった。帰りは徒歩。さっきスケッチ取ったあの場所のすぐ近くじゃんみたいな場所にあったので、帰りは徒歩。

 金曜日の朝にあった仲間たちに合って、別れを告げて、Grabで空港へ。お土産、かなり空港でやっつけた。チェックインして羽田に夜の10時位に着いて、次の日月曜日朝7:40には朝礼という強行軍だったのだが、帰りの飛行機で何か三半規管が調子悪くなり、気持ち悪くなり吐きそうになる。羽田について、飛行機から出国審査まで歩いているときも生きた心地しなかった記憶が。モノレールのって、天王洲で降りて、Taxiに乗るころは12:30位。こうして書いていると、何でお金払って、こんな辛い思いしているんだろうとも思う。まあ、移動は辛いが、ホテルの部屋の快適さとか、しがらみから解放される自由な感じとか、凝り固まったものが溶けてゆくような感覚や、緩い人たちとの出会いとかなんだろうと思う。

Masjid Jamek,Kuala Lumpur

路地で世界に出会う

 去年のことになってしまうのだが、10月26日にトランプ来日反対のデモに参加した。新橋のSL広場に集まり、そこで集会を行い銀座まで歩いた。

 その時にはもう高市政権が誕生していたのだが、同僚と

『また、横田から来るんだろ、なんで横田から来るんだよ、ビジネスマンなら羽田か成田から来いよ』

 と話していたら、本当に羽田からきて驚いた。トランプやるなと思ったのだが、デモはそういった情勢に押されてか殆ど、存在していないかのような、一応、やってますというような非常に少人数のものであった。

 その時、日本人の人が集会でスピーチをしていて、忘れてしまったのだが、何かすごく重要なことを話していて、私は何かプラカードかなんか持って立ち尽くしていたのだが、その人のスピーチが終わった後にひょろっとしたカメラを持った外人にあの人は何を話していたんだと聞かれ、ああ、何か聞きたいことがあるのねと思い、コンビニかなんかに行っていてその場にいなくなっていたそのスピーチした人を見つけてきて、この人が何か聞きたいことあるみたいですとその人につなげた。

 皆で銀座まで歩いて、解散ってなって帰ろうかと思って路地を歩きだしたら、その外国人が話しかけてきた。ちょっと話していたらフランス人だという。立ち話をしていたら女性の外国人(フィンランド人)が、おおどうしてる!?みたいな感じで話しかけてきた。正直言うと、私の周りには居ないタイプの人たちで友達になりたいなと思いながらも帰ってきてしまった。

 後からChat GPTで調べてみたら。多分東京国際映画祭に取材に来ているジャーナリストのようだった。

 彼らが言うには『今、日本は民主主義危ういよ』ってことだった。

 そして、先日渋谷で行われたロシア人の人たちによるウクライナ侵略反対のスタンディングに行ったら、日本人ジャーナリストの原 隆さんという人に声を掛けられ、神田神保町区民館で行われた、集会に参加した。

 今、読んでいる途中なのだが

 加藤 直樹さんという人の ”ウクライナ侵略を考える”(あけび書房)

 という本を買った。この時は、著者が横に坐っていて、他にも林さんというジャーナリストが発言していた。

 街に出て思うのは、少しづつだけど私の周りにいなかった人たちとコミュニケーションが取れるようになってきた自分が正直嬉しい。彼らは世界を周遊している人たちだし、常識というものの視点が、日本にだけ居たら得られないものを彼らは持っている。それは良い意味での路地での話なのかもしれないけれど、そういう会話って実はあまりないのだ。彼らも私シャイだしも傷付きやすい人間だし、そういう回路に自分が接続できるようになってきたことはありがたいことだなと思う。

 香港のポートランド・ストリートを歩いたとき、路地で世界が交差しているのを感じた。最近、東京でも同じような瞬間に私でも出会うことがある。

Portland Street,Hong Kong

Tokyoのズレを感じながら

去年は正月に台湾へ行っていましたが、今年は東京にいました。しかも、実家の両親のところには顔を出さず、港にある自分の部屋を中心に、ただウロウロしていました。絵も描いてはいたのですが、最近はかなりChatGPTに制作過程を見てもらうようになり、時間をかけてもなかなか進まない絵に、ひたすら向き合っていました。

10月からこのブログに何か書く気が起こらず、久々に投稿するということは、自分の中で少し立ち止まって考える時間が必要だった、ということなのだと思っています。

そうこうしているうちに、いろいろなことが過ぎ去っていきましたが、収穫もありました。ヒューマントラストシネマでデヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を観られたこと。有明海の森公園に行ったこと、そして昨日はエコプラザ主催の野鳥見学で東京港野鳥公園を歩き、メジロなどの野鳥を見られたことです。とにかく立ち止まりながら、日々のルーティーンをこなしています。

そう、今年の正月は静かでした。年越しそばはカップラーメンで、誰かと一緒にいたわけでもありません。街を車で走らせていても、人の身なりは決して派手ではなく、渋谷や新宿の雑踏に立ってみても、あふれんばかりの人流と派手な人々は確かにいましたが、どこか浮ついて見えました。羨ましいという感じとも、少し違っていました。街に祝祭の空気は感じられませんでした。

12月最後の土曜日には、有明・虹の大橋から花火を観ましたし、Night Walkのイルミネーションも歩きました。それでもどこか、場末のサーカスのように感じられました。もっとも、その感じが、逆に文学的でもありましたが。

この妙にズレた感じが、今の東京の空気感なのだろうと思います。ずっとその空気を理解してはいたはずなのに、自分の中ではそのズレに苛立ち、無理に盛り上げようとして、かえって苦しくなっていたような気がします。けれど今は、そのズレた空気感そのものを、はっきりと言葉にできないまま、表現に落とし込めているような気がしています。自分自身の生活もまた、その中にあります。

 私が感じているこのズレは、ただの違和感ではない気がしています。整えられ、説明され、管理され尽くしたはずの都市が、いまなお手放していない、ささやかな抵抗の痕跡が、日常のあちこちに残っているようにも思えるのです。

Hong Kong City from behind the terrace of M+

メタボリズムの失敗から東京の未来を考える

 ちょっと難しい話をすみません。

 私は直接体験していないんだけど、1970年代にメタボリズムという建築と都市に関する理論運動が存在した。東京大学の丹下研究室を中心として槙文彦、黒川紀章といったメンバーを中心として都市は新陳代謝するという概念でその運動を展開していた。新橋にあった中銀ビルなどもそうだ。

 私が建築を勉強していた90年代、その理論的支柱として存在していた磯崎 新はこの運動に対して一定距離を置いていたというのがインターネットなどで検索しても出てくる。

 そして、この間の香港に旅行に行った際に磯崎 新の「Incubation Process(孵化過程)」の展示を観た。東京湾の地図に釘を打ち込み、被膜ワイヤー(紐)を張り、石膏で地表を作ることで”都市が生まれてゆく”模型で来場者(子供含む)も一緒につくる参加型パフォーマンスで完成した模型とヴィデオ映像を観た。

 シンガポールなどではメタボリズムの理論・概念は採用され、一部の公共建築にその思想が反映されている。シンガポールという都市の風土、国民性にメタボリズムの概念の相性が良かったのだろう。

 また、オランダの建築家レム・コールハースはアジア発の建築設計の運動として、西洋にないものとしメタボリズムを評価している。

 しかし、しかしなのだ。私からすると東京大学という日本最高の知性が寄ってたかって集まって、時代の空気にも呼応し提案した都市概念に誤りがあったことの方が大問題なのだ。

 磯崎 新氏は敗戦の記憶や、父との確執、幼い妹の面倒を見て成長したという過去を持つ、私からするとかなり藝術に近いタイプの人である。しかし、彼が必死になって抗ったものは私にはその正当性が証明されたように思う。

 いわく、都市の構造は複雑怪奇で部分の交換だけでは”全体の老化”は止められない。ということが分かったというのです。実際都市は物理的な存在/自然な生命体ではなく、権利・資本・行政・法制度のネットワークで動いています。

 磯崎氏はニューヨーク、ロサンゼルス、スペイン、上海、中東と東京よりも世界的に仕事をして東京を見つめてきた人です。

 恐ろしいのは都市はほおっておけば成長するということではないということです。羽田からトランプのような人物が現れて、ビーストと呼ばれるリムジンで夜、皇居に入り、天皇と会うことで東京の街の位相が変えられてしまうということでしょう。

 その間に我々のつゆ知らないところで米兵と新首相が手を結び抑圧の体制を整える。

 私のようなひねくれた人物にとっては呼吸しづらいなと思ってしまうが、しかし、そうでもしないと都市が衰退の方向に向かってしまうという現実があるのかもしれない。

 下記の絵ですが、私がナッシュビルにいって面白いなと思ったのは、ナッシュビルは教会、大学といった学ぶサイドとビジネス、行政府といった生産サイドの2極で都市を運営していることでした。参考になるか分かりませんが。

Centennial Park(Parthenon & James Robertson Statue),Nashville

香港と東京

 どんどん流行らない人間になっている気もしますが、日誌です。

 とにかく東京にいて日中は港湾の仕事、日曜日は朝ミサに、月曜はミーティング、火曜、水曜はZoomでミーティング、木曜は新聞配って、金曜、土曜で何とか一つミーティング。こうして書くと殆ど余裕のない暮らしを送っている。殆ど、意地みたいな。情けない。

 しかし、今年は夏に旅行2つ行って、帰ってきて、何となく頭のなかがまとまってきている。復活祭の日に教皇フランシスコが亡くなって、新しい教皇がアメリカ、シカゴから選出された神の意志みたいなものも少し汲み取れる余裕がやっと出てきた。今年の夏は暑かったので、そういったことを考える余裕すらなかった。

 しかし、私の考えとはまるで裏腹にかなり強引な感じで物事が進んでいる感じがある。トランプの仲介によって中東の戦争が終わりそうなことなどだ。失われた命の賠償責任などはどうなるのだろう。私のつたない歴史認識では日本の場合は、長崎、広島に原子爆弾が落とされその数日後に日本は無条件降伏し、東京裁判が行われ、戦犯と呼ばれる人たちは法廷で裁かれることになり、今のイグナチオ、上智大学などの四谷一帯はGHQによって占領され、今も米軍基地が日本に駐留し、米国との隷属的な関係は今も続くことになる。

 ガザやパレスチナがイスラエルに対してそういう関係性を100年以上の間続けるのだろうかというとどうも今回の件はそういうことではないようだ。

 閑話休題

 いつも読んでいるんだけどこの人のブログが面白い。

 僕も今年、香港に行ってきてまた記事も書いたんだけど、東京と香港の関係って、男と女みたいに思う。北京、ニューヨークになると振れすぎちゃうし、シンガポールだとやはりちょっと。。。香港と東京ってなんというか社会体制が違う統治下にあるのに連帯しているような感じなのだ。香港は中国本土に対してあいつらと一緒にするなと思っているし、東京は良い悪いは別にして日本の中で暴走している所がある。カトリック教会は東京にも香港にも枢機卿を置いている。やはり台湾ではないのだ。

 私自身は年齢を経てしまい、東京にいても面白いことなんか何もないと思ってしまっているのが正直なところだ。しかし、子供の頃こういう場所で思考してみたいと夢を抱いたのも事実なのだ。

 私は、果たしてパワーゲームから降りながらテクノロジーやアートで権力の先を行くことができるのだろうか。周回遅れのトップランナーが関の山のような気がする。

Lion Rock,Hong Kong

全然報道されないが

パレスチナの国家承認とイスラエルの2国家共存を支持する「ニューヨーク宣言」を国連加盟国(193)の7割を超える142か国の賛成多数で採択した。日本も賛成した。

最近のニュースを見ていると、アメリカの国連軽視に追随して殆ど、誰も国連の決議を重要視していない気がするしこのニューヨーク宣言のことも、殆どの主要メディアは扱っていない。

しかし、核兵器禁止条約が採択されその後の国際事情(戦争や武器開発も含めた)に大きく影響を与えているように、この採択も大変なことだ。私や、私の周囲の人たちの言葉で言えば画期的ということになる。

私は中東事情に関して詳しくないし、高校の世界史レベルすら理解していないと自分でも思うが、この一連のニュースで私が理解しているのは、イスラエルはユダヤ人で構成された国家で、パレスチナの独立を阻むために一連の攻撃を繰り拡げているという理解だ。

なので今回、国連でこの宣言が採択されたということはイスラエルの攻撃は意味をなしていなかったことが承認されたということになる。

新聞赤旗は一面にこの記事を掲載していて、アメリカ、イスラエルは反対していて日本は賛成している。日本は首相が退陣して政治の空白の時期にそんな大事なこと意思決定しているのだから、まさにアクロバットのような気もする。

いずれにせよ、私は大歓迎なのだ!ずっと自分が望んでいた解決が2025年9月12日金曜日にもたらされたことになる。

いう人は言うだろう。またウクライナとロシアのように紛争は続くとか、アメリカとイスラエルが承認していない以上世界のパワーバランスの殆どが認めていないようなものじゃないかと。

しかし、議決権を持っている国連加盟国193か国の内142か国なのだ。これは民意だと思う。

私が最近感じているのは、多様性というコンセプトが通用しない社会になりつつあるということだ。コロナの前までは多様性というコンセプトはある意味社会の主流だった。フェミニズムが吹き荒れ、LGBTQ+の人たちの人権の問題が社会の主題にあった。

しかし、コロナというパンデミックが起こってコロナ以降の社会が出現した。今更ながらだが感染症は人種、性別、国家を超える。多様性の垣根を越えて起こった。そして、今もそれらの問題(フェミニズム、人種、LGBTQ+)といった問題は残したまま、ウクライナーロシア、中東の紛争、戦争が世界のニュースの中心になった。ロシアは国連憲章に違反して攻撃を開始し、イスラエルのガザへの攻撃がジェノサイドであることは周知の事実なのでことこれらの件に関して多様性というコンセプトを持ち込むことはできないのだ。

だからみんな議論しないのだ。話す必要がないから。結論は出ているのだ。

そして、先週の金曜日私としては(歴史上の解決がなされた!?一歩が踏み出された!?)パレスチナは国家としての承認手続きに入ったのだ。

Street of Vanderbilt University

the world is yours but also ours but basically yours

 昨日、このブログを更新した後、九龍のM+に行く。下のスケッチはM+の裏手のHarbour Deckから眺めた香港市内の眺め。

 磯崎 新、横尾 忠則といった私にとってはウーンなんというか父親世代でありながら、前衛であり、当然コンプレックスもあり、欺瞞に気づきながらも、その残されたメッセージを愚直に信じようとしている人たちが展示されていた。

 M+のShopで”THE MAKING OF M+”というRem KoolhaasのS,M,L,XLのような本が50%OFFで売られていて買っちゃえと思って購入したところ、タイトルの言葉に出会う。芝浦の交差点でもグラフティでTOKYO is YOURSってあった。色褪せて消えてしまったけれど。

Installation view of Samson Young:Songs For Disaster Relief,Hong Kong in Venice,2017

 中国のPaintingの作家ですごい人いた。何かピンボケの写真のような絵を油彩で。見たことあったけど実物見るとどうやって描いてんだろうと圧倒される。負けたって気になる。

 出口を出たところにネオンの展示があった。麻雀店とSAMMY’S KITCHEN LTD.自分がやりたいこともやはり流行に流されていたんだなと思う。しかし、ネオンのガス管はカッコいい。

 帰ってきて昼飯。結局眠れなくてSt.John’s CathedralからCity’s Superシャワー浴びて、せっかく持ってきたシャツ着て、半ズボンにシャツインして、革靴はいて晩飯食いに行く。デンゼル・ワシントンのイコライザーの見過ぎか。

 部屋で久しぶりに更新・公開!?された佐久間裕美子と若林恵の”こんにちは未来”を聞く。相変わらず秀逸。

 東京で熱中症になってしまい、かかりつけの先生(港診療所小川先生)に診てもらい点滴打ってもらって、漢方2種のんでいるんだけど右腕、右肩の痺れが取れない。

 よく考えたら、プールで泳いだり、辛いラーメン食ったり、熱いコーヒー飲んだりしている場合ではなかったかも。

 M+の近辺も工事現場があり、ガンガン工事していたんだけど、やはり、熱中症にかかわる掲示がでかでかと貼ってあった。香港も暑い。この暑さの中、私もそうだが働いているんだから、われわれは同じ問題を共有している気がする。地球温暖化に対して、頭のいい人たちが異を唱えていて、温暖化の話をすると社会主義者みたいにみられて嫌われるから言わないようにしていたらこんなになってしまった。とにかく今年の暑さは尋常じゃなかった気がする。確かに、ぐっと暑くなって、それほどでもない年はあった気がする。しかし、今年はやばかった気がする。

Sketch of Hong kong city

老化を感じる

水曜日の夜に浜松町からモノレールに乗って、夜羽田につき、夜は羽田の空港のロビーで過ごし、香港に来ています。レンタルのWifiの受け取りが23:00迄で、空港に着いたのが23:45位だったのでコインロッカーのようなやつからWifiが受け取れなくて早くも焦る。焦ってGlobal Wifiに電話すると、JAL ABCというところのカウンターに在庫があったら貸してくれますと教えてもらい、HK Expressの前にあったJAL ABCというところにいた初老の老人に聞くと、私の予約した番号のWifiを出してくれた。御巣鷹山事件のこともあり、両親からもJALは大名経営だ聞いていて偏見を持っていたのだが、助けてもらったことで偏見が取れてしまう。時代が変われば巨象も変わるということなのだろう。

 出発ロビーは140番でえらく新しいロビーだったんだけど、”深夜特急”をハードカバーで読んでいたお父さんが居て、(娘一人の3人親子だった)何か感じるものがある。俺も早朝の香港行きの飛行機乗って脱獄するんだなみたいな。

 HK Expressの飛行機は夜通し飛んでいて、私が慶応大学の経済学部の先生に聞いていた飛行機を満席で飛ばすことで運賃を安くするスタイルの経営ではなかった。かなり、スカスカの席で快適。台湾経由でシアトルに行く便は違っていた。ぎゅうぎゅうにお客さん詰め込んで飛んでいた。

 3時間50分位のフライトで香港国際空港につく。この間、Youtubeで尊敬する現代美術家が、昔の香港は都心の真ん中に空港があり高層ビルの合間を縫って飛行機が飛び、発着陸していてその混沌としたパワーが東京にはないものがありエネルギーをもらったと仰っていたのだが、今の香港の空港は丁度Cityから羽田くらいの距離にあり、空港もまだ滑走路を拡張工事しているような感じだった。なので空の足に関して東京は歴史を逆行して、昔の香港を目指していて、今の香港の方がリベラルになってしまったような印象を受ける。

 前回泊まった、RAMADA Hong Kong Harbour Viewに泊まっているのだが、Agodaで2部屋予約してしまっていたみたいで。。。相当こたえる。キャンセル料を何とか45%にしてもらい、もうクレームするのもつかれたと思い、諦めて払うことにする。この文章で老化を感じるというのはこの部分なのだ。重いスーツケース持って外をうろつくことができないのだ。

 14:00からしかチェックインできないと事前にウェブサイト等で調べておけば、空港についてから14:00まで時間があるなと分かっていれば何か行動を一つ入れておくはずだ。お土産買うでもいい、本を買うでもいい、美術館に行くでもいい、昼飯食べるでもいい。

 とにかく暑くてひいひい言いながら着いたら、ホテルに直行して自分の間違えに対処している。そして、部屋に入って何とか安心を確保してから、やっとスケッチだなんだ。この自分が取っている行動に対して思うのは発想に若さがないということだ。。。

 前回、このホテルのロビーの人に2件教えてもらったレストランの1軒で昼食。これが旨かった。豚と米粉の麺とスープ。1000円位。

 何とかチェックインを済ませ。汗だくの衣類を脱いでシャワーを浴びて、生き返る。

 少し休んで、さてどうしようかなと。漢字のネオンが沢山入った絵を描きたいなと思い、DeepSeekに色々聞いてみる。(なんとこっちではChatGPTが使えない。もしかしてGlobal Wifiの問題かもしれないが)。旺角あたりに目星をつけて行ってみる。前回、コンバースを買いに来た辺りだった。夜まで待った方が良かったかもしれないが、身体が勝手に動き、下記スケッチを取って帰ってくる。

 旺角は面白いエリアだからウロウロすればいいのに、スケッチ取り終わったら一目散に帰ってきてしまう。そして、晩飯は上述のこのホテルの人に教えてもらったもう一軒のレストラン。何と前回来た時に働いていた店員さんが今回もいた。

 朝起きて、前回も行った中山記念公園でウォーキングしてMega Poolで20分水泳。朝6:30にプールが開くのを待つ大人たちに交じって居る若い自分は甘えている気もするが。。。でもこの人たちすごい平和な大人たちだった。あまり学業のことは言いたくないがこの人たちそれこそ大学とか出て、社会でそれなりに働いた香港人なんだろうなと思った。正直来て良かったなと思った。

 地下鉄に乗っていても非常にピースな雰囲気。飛行機が着陸した時はしまった地獄に来てしまったと一瞬思ったが、今はそうでもない。というのは自分が年齢を経てしまって、アクセスする空間がそういう空間ばかりだから地獄が見えないのだと思う。深夜特急で沢木耕太郎が仰っているようにTravellerの持てる関係性って本当限定されている。。。しかし、私の求めている旅はそれではない。しっかり向き合って奥に踏み込んで、訪れた地に何かもたらしたいということなのだ。

Sketch of Portland Street,Hong Kong

夏休みをナッシュビルで過ごす

まだというか何というか、Nashvilleのホテルにいます。

何とかスケッチもとれてます。ヴァンダーヴィルト大学、センテンニアル公園のパルテノンとジェームス・ロバートソンの銅像、ジェファーソン通りの教会など。全然知らないで描いたんだけど後から調べたらこの教会は公民権運動の活動拠点になったような教会だった。なので何とか3枚はキャンバスに落とせそうなスケッチをとることができました。

 しゃがんでスケッチを描いて、立ってI-phoneで写真を撮ってそれらを基にタブローを作っていこうと思っているのですが、視点が若干上下していることがそれら素材から分かりました。

ああ、しゃがんで写真撮ればよいのか。。。

 意外に活躍しているのが世界堂で買ったSTEADLERのTinted watercolour pencilsと水筆。12色を買ったのですが、帰ってもっとたくさん入っているのを買っておこうかと思っています。要は色鉛筆を塗って水筆でなぞると水彩になるというもの。かなり水彩画の感じが出る。

 仲間の父の出資によって仲間とその奥さんとともにナッシュビルのフランク・シナトラの店で死ぬほど豪華な晩飯をご馳走になってしまう。 人生でこんなことあるんだという感じ。俺ってひどい男だ。

 これだけ書いていると、本当に何か日本から来た謎の旅人アーティストみたいだ。いつも思うんだけど、表面上は穏やかに見えて、俺のやっていることって大混乱を引き起こしているような部分もあって、そうとう皆にダメージを引き起こしているような気もする。しかし、よくよく考えてみたら安上がりだったみたいな。

Still Life(Red Gerberas,Bread&News Paper)