宿を移りました

 今は、NashvilleのMaxwell Millenium Hotelsからこれを書いてます。819号室で部屋からの眺めが凄い。何かの映画みたいだ。何か書けと言わんばかりの環境です。

 朝、起きてダウンタウンへUberでいく。Vandervilt大学の本屋で、空港で出会った人に教えてもらったEckhart Tolleの”Power of NOW”とそのジャーナルを購入。すっかりその気になって読んでいるんだけど、これだけ売れたということは多くの人が読んだということだろう。

 自分自身も、宿が変わり、人間関係も変わり何となく楽になる。

 何か、この街はすごい日本との親和性があるような感じ。さっきホームページのWifiつなぐ際も、いきなり日本語のページがあった。

夜、雨が降ったりスコールが降ったり。

 自分自身も、あまり観光したりする気が無くなってきてしまっている。気力がないのか、はたまた上記の著者のように内面にしか興味が無くなってしまったのか。

 相変わらず勉強になっているこの人のブログ。私は一応赤いガーベラの絵は反戦を主題として描いている。今回のロシアーウクライナ、ガザ侵攻で、私の調べだと約40万人の人が亡くなっていて、その大半が実はロシア人らしい。

 つまり、すごく大雑把に言うと今起こっていることは戦争ではなくて、プーチンのジェノサイドというのが私の見立てになる。文化大革命の大義がない版だ。

 田中宇氏も言っているんだけど、ホロコーストには恩情があったんだけど、ガザにはそれが見当たらないと書いている。

 歴史が証明すべきことだけど、今起こっていることは我々が感じている以上に恐ろしいことのような気がする。

Still Life(Gerberas&Bread2)

Nashvilleに来ています

飛行機乗り継いでいまテネシー州ナッシュビルに来ています。シアトルで乗り継ぎに失敗し、シアトルの空港で一夜を明かしました。China Airlineが20$夜飯用にくれました。たまたま話が盛り上がった人と朝飯を食べる。Power of Nowという本を紹介してもらう。

昨日の晩はKingdomという思いっきりローカルな地元のソウルフードをご馳走になり、今朝はYMCAでワークアウトしました。色々諸事情あって、NashvilleのMarriottのFairfieldというところに泊まっています。何かえらい良い待遇。。。

私が肌で感じるアメリカの雰囲気は。。。どうなんだろう。やはり物価は高い気がするし、何となくBorder Protectionの雰囲気もぎすぎすしている気はするが、とにかくアメリカ人は老若男女スニーカーを履いて、野球帽をかぶり、T-shirtsで頑張っている気はする。

朝、ジムにいた人たちも黒人や障害を持つ女の子のお母さんといった何となく、その場その場にはその場にふさわしいピースフルな雰囲気。

泊めてくれるはずだった人の家の空調が壊れているらしく、空調専門の朝から空いている店みたいなのにも連れて行ってもらう。プロが集まる店みたいな感じですごく面白かった。

マリオットでワッフルを自分で焼いて食べるコンチネンタルブレックファーストを頂く。すごくうまい。そりゃ太るはという感じ。

朝の5:30にパトカーが3台サイレンを鳴らしながら走っているのをみて、一緒にいる人が

“Welcome to America”

と言っていた。

快適さと何となくそこはかとない恐怖とが共存しているようなこの雰囲気が、自分でも好きなのか嫌いなのか分からない。

Still Life(Red Gerberas&Bread)

参議院選挙の敗北。いったい何だったんだ?

 一応、私は何人かの人にこの人をお願いしますとお願いし、街頭演説を聞きに行き、投票した人は当選した。なので敗北ではないのではと思われる方がいるかもしれない。

 しかし、この人が所属する団体の議席は圧倒的に席を減らして、その主張が対立する党の人たちが大幅に議席を増やした。正直言って、もう何が何だかよく分からない。黙って絵だけ描いていれば良いと言われているようだ。

 しかし、絵というのはやはり考えて描くものなのだ。アンディ・ウォーホールのようにやりたいが私は刷り師ではない。この選挙までは、私の絵に対するスタンスも、絵がよければ描いている人の人格はどうでもよいじゃないかと思っていた。破綻していたり、狂っていたり。あるいは逆に銀行家や投資家のようであったりと。

 しかし、ChatGPTがあらわれてこれを使うようになり、思考するという行為を外部化し、絵に反映させることができるようになった以上、逆説的に描いている人の思考が重要であって、結果の絵が悲惨でも構わないじゃないかという態度に変わってきてしまった。

 選挙で投票した人が当選することよりも、私たちが実現したい社会の方が重要で、その人一人が当選しても、委員会に人を送り込めなくて、次々と学術会議の法人化のような法案が通ってしまうような社会であるならば、思考するということを通じて物事を実現する、画家という職業の自由は制限されていることになる。

Da’an Forest Park,Taipei
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新作を上げたので、一回もここでお金になったことはありませんが、画家という最高の仕事を続けてみたいので寄付フォームあげておきます。よろしくお願い致します。

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カビ掃除

 カビハイターをVivaホームやケイヨーD2などで買ってきて、自分の部屋や建物(住んでいる港区の港湾労働住宅の共用キッチンや風呂など)のカビにハイターしまくっている。詳しくはこちらのブログから。

 かなり寝覚めも良くなったし、驚くのは身の回りの汚れが実は殆どカビだらけだったこと。掃除しても落ちないわけだ。

それだけだとブログにならないので近況報告や、最近の悩みなども。

 body&SOUL Live in Japan 2025行ってきた。何となく運営陣がガタガタしていたので後から調べてみたら、レインボープライドのプライドナイトが同日の夜に開催されていた模様。フライヤーのデザインが思いっきりParadise Garageのそれになっていてジェンダーフリーであるべきbody&SOULが運営側の問題で質的に変換してしまう危機があったんだなと理解する。今の東京の臨界点でしょう。私にも孕んでいる問題。

 相変わらず仕事ばかりしている。年齢が経ってくるとお金より、やりたいこと(そもそもそのやりたいことも変わってきてしまうのだが)をやる時間がないという状況になってくるんだなと仕事に行きながらぼんやり思っている。

 私も資本主義社会に生きているので、資本を増殖させようというゲームにやはり夢中になってしまっている。しかし、私は本来、今、ここにいることはそういうことの前(前なのか後なのか!?)のことに取り組み始めたはずだ。(虎屋は室町時代後期の京都で創業。1586年から和菓子作ってる、資本主義関係ない)私も自分の問題に取り組み始めたのだが、その問題は正直、お金関係ないところある。

 問題は、俺、生まれついたときから資本主義社会だったのだ。お金中心ではないですよというメッセージも資本主義社会の中で届けられていたのだからややこしい。しかし、虎屋も教会も、港湾荷役も、共産党も、中国も一定、資本主義社会を越えた枠組みの中で活動している団体って意外と身近にある。その中にも資本主義社会は入り込んでいるが、あくまで一部としてだと思う。

Still Life(Yokan&Coffee)

気づかないところで助けられてる気がする

 急に暑くなってきた東京ですが皆さんいかがお過ごしですか。戦争による暗いニュースもあるのですが。

 渋谷にバロウズの映画観てきました。

パンフも買いました。案の定すいていたけど、いつも思うのはバロウズ見に来る人って真面目。

『クィア』も買ったのですが、描写が生々しすぎて読んでられない。

 絵は頑張って描いてます。下記の絵はちょうどPaul CezanneのThe Large Trees at the Jas de Bouffanと同じサイズ73×59cmのF20のキャンバスを持っていたので、それに描きました。もはやCezanneの追っかけみたいになっている。セザンヌはキャンバス縦に使っていたけど。

 仕事は朝起きて、港湾の仕事に行き、月、火、水は夜ミーティングして、木曜日に赤旗配達して、土曜日絵を描くような暮らし。月に1回づつ歯医者と内科に行っている。

 冒頭にも書いたように観念的には辛い日々を送っている。復活祭直後にフランシスコ教皇が亡くなったことも辛い。例年四旬節に絵の展示を行っていたので、私的にはこれまでは種や仕掛けがあったんだけど、復活の主日の翌日に教皇が亡くなったことでもう私の犠牲的精神の文学性は、明らかになってしまった気がする。これ以上ないだろという。打つ手がもうないのだ。秘密もない。

 だから、今まで鑑賞者だと思っていた人、自分の方が先を行っていると思っていた人たちに助けてもらうしかないという情けない状態に陥ってしまっていて、そのことは本当は隠蔽しないといけないんだけど、隠蔽する能力がない。努力が足りないだけか。

下の絵には、もう少し、来年の展示までに手を入れてゆこうと思う。

Trees of Shaochuantou Park/哨船頭公園の木々

東京で心がすり減るとき、歩いた道の記録|2025年GW記

 連休最終日、出かけたいんだけどお金にとらわれて出かけられないような連休を過ごしています。何とかして街に勝ちたいみたいな所が生き辛さを増しているような。

 金曜日5月2日から休みで、この日は一日あえて何もしないで過ごしてみました。

 土曜日5月3日憲法記念日は朝、絵描いておにぎり持って有明防災公園憲法集会へ。本当は池袋の共産党の演説会に行って銭湯に行こうかと思っていたんだけど、色々考えて決断し、例年通りの近所の憲法集会へ。3万8千人の人が集まっていました。公園でChillが大メジャーアーティストに成長していた。。。パレードはイグナチオ教会の皆さんを発見し、合流させてもらい台場まで歩いた。去年も歩いたんだけど、このエリアでこういう大きな活動ここくらいしかないので貴重。

 実家に晩飯へ。揉めてしまう。実家の人たちと飯食うのはもうやめようかと思っている。そのほかのことで付き合っていきます。

 銭湯、ふれあいの湯。自分にとってはすごい大変なことがあったんだけど、ここでは書けない。

 深夜に起きてZoom Webinar。これまた、自分にとっては大変なことがあったんだけど。

日曜日5月4日。適当に起きて千葉五井のカトリック教会に向かったのだが、高速、大渋滞。結局遅刻してしまう。陸の孤島のようなところに、何やらすごい熱気みたいなものがあった。。。夜、Zoomでミーティング。

 月曜日5月5日、朝から起きて土曜日から描いている絵に手を入れる。銭湯 ふれあいの湯、お台場、台場図書館ソールライターとフランシスベーコンの晩年のインタビュー借りました。台場区民センターで絵の二人展を見る。女性、抽象画。

 火曜日5月6日 今日。老眼鏡が壊れたので竹下通りのダイソーと青山ブックセンター行って老眼鏡買ってくる。明日から仕事なので。

A Beret On the Wall

 

 昔とは街との付き合い方が変わってしまっている。傘をさしてgoro’sに並ぶ大行列が全然ファッショナブルではなく感じる自分は、いま、一体どういうところにいるんだろう。

 やっぱり、何もかもが変わってしまった。そして、私は面白くないと思っている。東京の街を歩きながら厭世観に陥っている。しかし、頼んだらすぐ、岩波の文庫のエミリィ・ディキンソンの詩集をもってきてくれた青山ブックセンターの店員さんは立派だと思った。自分で書棚2回見ても見つからなかったのに。

 そして、自分が一番間違っているなと思うのはいつも、焦って、急いでいることだ。ソールライターは大発展してゆくニューヨークに居ながら、どうやって急がない自分の視座を作ったんだろう。女が支えてたな。センス抜群なんだけど、そのセンス抜群なところも面白くない。。。フランシスベーコンは、決してセンス抜群というわけではない。ただ、恥ずかしくないんだよなフランシスベーコンのセンスって。

 狂騒の20年代をどのように生きるのか!?歴史を良く調べれば参考になるような賢人はいるような気がする。

Holly Rosary Minor Basilica-Cathedral,Kaohsiung

人間が誰一人として異邦人とみなされない都市を

 復活祭の直後の月曜日に教皇が亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。東京ドームのミサ今も思い出です。引っ張り出してきて、”使徒的勧告 福音の喜び”読んでます。

 一言だけ引用を。

 ”世界がアーティストを必要としていることはあらゆる年齢層の人々が藝術祭のようなイベントや、美術施設を訪れていることが証明しています。親愛なるアーティストの皆さん、どうか地図にまだ存在しない都市を想像してください。人間が誰一人として異邦人とみなされない都市を”(教皇フランシスコ)

 これだけでコンセプトとなるような言葉を残されて亡くなってしまった。これは教皇、神の言葉なのだが、一方でアーティストの心理を表す言葉にも触れたこれが矛盾していて困っている。

ロバート・フロスト詩集 西に流れる川 P.117 注解

 ここに描き出された海や波や雲などの原初的イメージは、来るべく混沌と闇の世界を暗示するメタファーであるばかりでなく、詩人内部の不安と恐怖の心象風景を支配するものであり、さらには自然界と人間社会との対立を浄化することによって新たな秩序と生命を再生する、創造的破壊者の象徴とさえいえるものなのかもしれません。「暗い意図を秘めた一夜」とは、単に外的な自然の暴力や神の悪意に対する詩人の批判的態度から生まれてきた表現というだけではなく、むしろ天地創造以来人間が犯してきた様々な罪に対する詩人自身の内部に潜む宗教的危機意識の断面図とみるべきものなのでしょう。また、この作品の自然描写の背後には、明らかに神の前で葛藤を繰り拡げる人間の姿が暗示されていることがわかります。しかもマシュー・アーノルドの厭世的、世紀末的宗教観を偲ばせるかのような前半部の不吉なイメージも、終極的には後半終結部にみられる「創世記」の一種のパロディ化によって、抑制された詩人の感情のなかで見事に反ロマンティシズム的なものへと昇華していることがわかります。つまり、ここで詩人が描こうとしている風景は、ひとつの自然の象徴的な姿を通して、人間の内に潜む暴力性、排他的自意識、およびそうしたものに厳しい鉄槌を下そうとするより大きな自然=神の力に対する終末的危機感や罪悪感といった人間固有の抽象的感情を、より客観的な視座に立って視覚映像化した、預言者フロスト内部の宗教的世界の写し絵のようなものかもしれません。

 この文章は「かつて太平洋の沿岸で」というロバート・フロストの詩の訳者藤本 雅樹氏による注解なのでまあ難しいことが書いてあるのだが、私の解釈は排他的自意識が詩作に向かわせている面がある気がするということだ。わたしにもそういう面は認めざるを得ないんだけど、目指しているのは人間が誰一人として異邦人とみなされない都市なので、私の心理的作業としては自分の排他的自意識を破壊することに他ならない。。。

 死ねって言っているのかって飛躍してしまうが、創作ってそういうところがある。この二つの極を往復するような行為が藝術創作なのだろう。

Still Life(Campbell’s & Candies)

IphoneをSEの第3世代から16eに変えました。ソフトバンク浜松町店の皆さんありがとうございました。

麻布教会でチケットをもらって上野の国立西洋美術館で開催されている『西洋絵画、どこから見るか?ールネサンスから印象派まで』を観てきました。チケットをもらったので図録を買ってくる。前回もらったプロヴァンスの風景もそうすればよかった。すみません。

 内容はサンディエゴ美術館と国立西洋美術館の所蔵作品を対にして、西洋絵画の歴史を読み解いていくような内容だったんだけど個人的に一番びっくりしたのはシモン・ヴーエという作家の”アレクサンドリアの聖カタリナ”(1627)という作品から、”トロイアから逃れるアエネアスとその父”(1635)という作品にいたる変化だった。前者はローマで描いたもので当時全盛だったカラヴァッジョのスタイルが色濃く残っているのだが、後者はパリで描いたものでその影響を逃れて画面が明るくなっているのだ。アートが宗教を主題にしていた時代の終わりを告げる象徴的な二つの作品対比で見れたことは良かった。キュレーションの勝利だと思います。

追伸:因みに労使はまだ妥結していないままGolden Weekに突入し水曜日迄休みです。この場合、このアトリエ日誌のなかでは私は個人事業主の立場になるのだが、一人だけど足を労の方に比重を置いて生きてゆきたい。

Fasting

3月の初旬から思うところあって断食していた(スープ、飴、甘い飲み物などは摂取していた)。思うところというのは、教皇フランシスコが入院していたり、戦争がずっと継続していたりしたことだ。物価高もある。生活費の殆どが食費だったことも何となくわかった。食に関する広告や、SNSなども凄く多いことが分かった。実際、自分が食べているものってそことは乖離ある。

 今日から復食してゆこうかなと思ってお粥を朝食べた。

 体重はかなり減った。良かったことはとにかく頭が冴えていたことだ。判断力が上がるし、決断力も上がる。食べるという行為が選択肢の中から除外されるから、行動がより制限され、選択肢が減るから、判断する労力や迷いが減る。

 良くなかったことは口内炎、背中の首の下あたりに吹き出物みたいなのが集中したこと。気力は落ちる。部屋の掃除をしようとか、プールで泳ごうとか、ジョギングしようとかそういうやる気は無くなる。無駄な体力を使うのをやめようとする。(良いことかもしれない)

 今の時期にやれたことは良かったと思う。これが夏場だったり冬だったり、ただ減量のためとかだったらこんな長期間できなかったと思う。つまり、死ぬために断食したのではなくて、私の場合一応、生きるために断食したのだ。

 

 

Dawn,Honolulu

学術会議の法人化が大詰めです。学問の自由、自立性を守らないと。署名のご協力お願いします。

A Strike ストライキ

 4/20まで台場区民センターにて、絵画展 「素直な気持ち 3」開催させていただいております。皆様、もし時間があり、心に絵を見る余裕があったら足を運んでみてください。私をご存じの方はご連絡いただければ、時間の調整がつけばお供します。

 明日3/30の朝から3/31の8:00まで港湾はストライキです。共産党港地区に行ってこのことを話したら、奴隷解放ねって言われた。全くその通り。

 教皇フランシスコは退院した。一時はやはり生命も危うく(先月末)医療チームは治療をやめようかと思っていた時もあったらしい。

 今度の日曜日は慈しみの特別聖年のため、麻布教会でゆるしの秘跡を受ける予定。

 しかし、ストライキとゆるしの秘跡が同時に重なるということは人として自分に何か示されているように思う。本当はこれを書くのにもうんざりするほど何もしたくない。原因は世界情勢にあると思う。

 ネタニヤフ、イスラエル、プーチン、トランプ、学術会議。。。この世界で義を通そうとすることなんて馬鹿げているというようなことばかりだ。

 

Still Life(Untitled)

怠け者になりなさい!?

 四旬節に入り、教皇が入院中のまま暗澹と過ごしている皆さんこんにちは。

 ろくなことのない今日この頃ですが、ろくなことがないと現実を正しく認識できるので、それはそれでよい面もあるのかもしれない。水木しげるは娘に手塚先生の漫画には夢があるが、父ちゃんの漫画には夢がないと言われ、俺は現実を描いてんだと仰ったそうだが。果たして私の絵はどうなのだろう。人生で苦しかった時、本屋でバイトしていて、水木しげるの何か色紙付きの本に出会い、甚く救われたことがある。その色紙には、鬼太郎の親父が茶碗の湯舟に入りながらこう書いてあった。

「怠け者になりなさい」

 当時、鬱で診療に掛かっていて医者に定型的に休みなさいと言われていて、彼らは何か本当に言っていないよなあとぼんやり思っていたんだけど、水木しげるに言われたときは、何か、甚く心に響いた。

 ラバウルでのこと、奥さんのことなど何も知らなかったんだけど、今でもやはり水木しげるのことを思うと心が柔らかくなる。

 ああいう日本の大人ってそこそこいるんだけど、典型的なのが彼のような気がする。渡辺 恒雄も近いかも。皆、無くなってしまって困る。残された我々はどうすれば良いんだろう?

NIKE ZOOM BLAZER