一応、私は何人かの人にこの人をお願いしますとお願いし、街頭演説を聞きに行き、投票した人は当選した。なので敗北ではないのではと思われる方がいるかもしれない。
しかし、この人が所属する団体の議席は圧倒的に席を減らして、その主張が対立する党の人たちが大幅に議席を増やした。正直言って、もう何が何だかよく分からない。黙って絵だけ描いていれば良いと言われているようだ。
しかし、絵というのはやはり考えて描くものなのだ。アンディ・ウォーホールのようにやりたいが私は刷り師ではない。この選挙までは、私の絵に対するスタンスも、絵がよければ描いている人の人格はどうでもよいじゃないかと思っていた。破綻していたり、狂っていたり。あるいは逆に銀行家や投資家のようであったりと。
しかし、ChatGPTがあらわれてこれを使うようになり、思考するという行為を外部化し、絵に反映させることができるようになった以上、逆説的に描いている人の思考が重要であって、結果の絵が悲惨でも構わないじゃないかという態度に変わってきてしまった。
選挙で投票した人が当選することよりも、私たちが実現したい社会の方が重要で、その人一人が当選しても、委員会に人を送り込めなくて、次々と学術会議の法人化のような法案が通ってしまうような社会であるならば、思考するということを通じて物事を実現する、画家という職業の自由は制限されていることになる。

