物忘れ Forgetting Things

 私は53歳の男性なのだが、最近、物忘れが激しくて困っている。

 昨日は、植木に水をやろうとしていつものベランダに置いてあるやかんを探したらなくて、一昨日、トイレに行った際にトイレに置き忘れたかと思い、いろいろな人に聞き、挙句盗られたかなと思い怒っていたら、ベランダに置いてあった。

 この間は財布をピーコックに忘れ、カードを朝止めて、土曜日の仕事を行い、もう一度夕方行ってみたら、ピーコックの人が預かってくれていた。

 今日もIphoneSE第三世代をなくしたかと思い、車に2回観に行き、3回目でやっとみつけた。

 いつも、何かのせいにしている。戦争のせいだ、アメリカのせいだ、コロナのせいだ、中国のせいだ、物価高のせいだEtc。もう疲れ果てました。自分で自分の首絞めて、自分であったよとか言ってほっとしてる。

 なくしたのは、Goro’sのフェザー、Porterのタンカー、鍋の蓋は住居の管理人に捨てられてしまった。割れていたらしい。

 それと同時に自分の人間関係のなかでの立ち位置も変わってきている気がする。昔は、説教臭いところが自分に感じられたらしく、教えようとするなと言われたが、最近、人間関係がかなり変わってきて、教えるようにしなさいとか社会の変革者であれというような言葉が耳に飛び込むようになってきている。こんなに物忘れが激しく、何でもかんでもそこら中に忘れている錯乱したような男が、この期に及んで人に何か教えようとするだなんて。

 何か、日本の社会も変質しつつあって、ボランティアで検索すると、かなり、色んな情報が出てくる。AIに入力してみると、自分の体験を整理したうえで、地域の支援センターやカウンセリングセンターなどでボランティアを探すと、他人に教える機会があるかもしれませんよとあったので、まあ、少しづつでもやってみようかなと。しかし、物忘れが。。。

Waterbirds Swamp

RAFAH

 情報を取り逃していた。皆、新宿に集まっていたようだ。とにかく、ここにあげておきます。メディアも追いつくことのできない国際情勢と、ここやはり東京もtwitterですら、私にも情報統制が掛かっている。

 今日の私の学びは、本当の悪は姿を現していないのだそう。私からすれば、この人たちは天使。

老眼鏡 Reading Glass

この間、老眼鏡を壊してしまったので、昨日、青山Book Centerに行って、Bonoxの老眼鏡を買いました。ここの老眼鏡が気に入っていて、壊したのも同じメーカー。プラスチックだけど鼈甲っぽい、おっさんみたいなやつにする。私は肉体労働の現場仕事を日中はしていて、壊れやすい細いフレームのやつだと困るから。

 前回のWilliam Jamesの宗教的経験の諸相の流れで、Walter Whitmanの草の葉を読んでいます。英米間の独立戦争のくだりが衝撃的でした。双方ともNew YorkのLong Island周辺の文学。Scott FitzgeraldのGreat Gatsubyも読んだので、この前のニューヨークの旅行から帰ってきて、かなりニューヨークに端を発した文学を漁って読んでいる。草の葉を読むと、これちょっと東京では無理だなという感じが強い。今の私の年齢や、生き方から、また、あれだけ多くの人々の中で中心的役割を果たすような行動は、今の自分には難しい気がする。

Exhibition at Akasaka Civic Center

 2月23日まで赤坂区民センターにて昨年制作したアクリル画12点展示してもらっています。良かったら観に行ってみてください。

 搬入の帰りに虎屋で羊羹でも買おうかと思っていたら18:00で閉店だった。。。

 何回かここでも言っているんだけど、果たして、本当に今地政学的に東京は良いところと言えるんだろうか?

 子供のころから住んでいるし、何となく街の変遷と、自分の人生を重ね合わせてみると、どうしても好きになれないところがあるのは事実。うまいことやろうとしている奴らがうようよしていて、東京の人間は何となくサービスというか仕事ばかりしている感じ。

 また、国際的に考えると日本人って海外旅行には行ってるみたいなんだけど、東京が国際的な都市だとか、日本人は国際的な存在だという認識において、何となく弱いような気がする。ただ、東京にみんな集まっているから、何となく東京に行ってみようみたいな。

 

 何とか部屋(アトリエ!?)は掃除して、快適な居場所にはなったんだけど、コロナの後遺症で何となく、息も絶え絶えで生きている。ここで言っていいのかどうかわからないけど、山田五郎のYoutubeばかり観てる。

https://www.youtube.com/channel/UCq1r8Nq3nwI9VhvyiwcpF2w

 近代絵画の成立の中でセザンヌが果たした役割や、その存在の偉大さが理解できたのもこのチャンネルのおかげのような気がする。もちろんゴッホも凄い。

 

The Trees at Mizumoto Park

5 Days off for Covid-19

 金曜日あまりに体調が悪く、早退させてもらい、土曜日近くの診療所が開いていて、電話したら診てもらえるとのこと。行って検査してもらったら、コロナだった。5日間は自宅療養。

 正月以来何となく大きな変化に直面していて、混乱しまくっていたのだが、何か、罹患したことで逆に焦って、先走っていたのは自分で、もっとペースを落とさないといけないんだなと今は思っている。

 まだ、読んでいる途中なのだがウィリアム・ジェイムスの宗教的経験の諸相(岩波文庫)の読書体験が自分にはかなり刺激的すぎる。自分にとっては本当かよと思うのだが、あながち外れてもいないような面があり怖い。引用します。

 心と意志とが神の心と意志と一つになるということは、宗教の未来における希望や目的ではなくて、魂の中で宗教がまさに始まり誕生したということである。宗教的生命に入ることは、闘争を終止することである。宗教的生命の発端をなすこの行為ーこれは信仰と呼んでもよいし、信頼、自己放棄、そのほかどんな名で呼んでもよいーこの行為のなかには、有限者と永遠に現実である生命との同一化が含まれている。P.291

 世のなかには、自分の借金が残らず支払われてしまい、かわした契約が果たされてしまい、出した手紙にみな返事が来、いろいろ困っている問題がみな解決されてしまい、自分の義務という義務が、なんの妨げもなくすぐ実行できるのにほったらかしにしていた義務までが、果たされてしまったりすると、卒倒しかねないような人間がいるものである。P.302

 それはちょうどある人間を見るのに、愛しないで見るか、それともその同じ人を愛をもって見るか、の違いのようなものである。愛をもって見る場合には、交わりは新しい活気を帯びてくる。同じように人間の感情が世界の創造者である神と接触する場合には、恐怖と我欲は消え去る。P321-322

 私たちは預言が職業であったことを、そして預言者たちは一つの職業階級を形成していたことを、忘れてはならない。預言者たちの学校があって、そこで預言の才能が正規に養成されていたのである。P331

 まあ自分にはできていないことだらけなんだけど、4番目の引用とかは今の日本社会でいうところのネット社会の占い師の人たちにあたるようなものか。

自分の本当の気持ちをさらけ出したいのだが、もう、この地球上にそういう場所は見つからないという苦しい状況にいる。そのことを端的に表現すると、コロナに罹患したというような状況になるのだろう。かなりの人が感染しているのだとすれば、私が抱えているような複雑さは現代においてある種の普遍性を獲得していることになるのだが。。。

Giant Tree of Castanopsis,Institute for Nature Study
1回のみ
毎月
年別

Make a one-time donation

Make a monthly donation

Make a yearly donation

金額を選択

¥5
¥15
¥100
¥5
¥15
¥100
¥5
¥15
¥100

またはカスタム金額を入力

¥

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

DonateDonate monthlyDonate yearly

Happy New Year

皆さま、明けましておめでとうございます。全然ハッピーではないけど。

 年末は、何とか恵比寿ガーデンホールで行われたNujabesの追悼イベント行ってきた。Joe ClaussellのDJはもちろん良かった。何か、壇上でDJをするっていうのではなく、皆と同じフロアーの高さの中心にブースがあるみたいなスタイルが、彼のスタイルなのだろう。

 帰りは歩いて帰ってくる。大丈夫なように、何ごともなかったかのようにふるまっているけれど、自分の心境はまったく大丈夫ではないまま、また、明日からの仕事に戻ろうとしている。自分が神にどの程度のことを求められているかが正直全くわからない感じだし、自分のしていることが、私に神が与えているものに対する正当な応答なのかということも全く分からないまま、周囲の人との不調和だけが広がっていくようなやるせない状態。

 今日は先ごろ関口のカテドラル教会に、以前上司だったロイさんの命日だったので墓参りに行ってきて、墓前で色々報告する。絵に関しては、この絵を描けというような多少の啓示もあった。

 中国から2件アクセスがありました。謝謝。

Scenary With Wild Birds
1回のみ
毎月
年別

Make a one-time donation

Make a monthly donation

Make a yearly donation

金額を選択

¥5
¥15
¥100
¥5
¥15
¥100
¥5
¥15
¥100

またはカスタム金額を入力

¥

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

Your contribution is appreciated.

DonateDonate monthlyDonate yearly

覚書

宗教的経験の諸相 W・ジェイムス著 桝田 啓三郎訳 岩波文庫より

P.153

 この観点から私たちは、すべての聖徒のうちに見いだされる人間的な慈愛、また、ある聖徒たちに見られる過剰な慈愛こそ、真に創造的な社会的力であり、ある種の徳の実現が彼らの人間的慈愛によってのみ可能になるものであることを、認めることができるのである。聖徒たちこそ善の創造者であり、作者であり、増進者である。人間の魂の持つ発展の可能性は測り知れない。取り返しがつかないほど強情になってしまったと思われた多くの人々が、事実、心を和らげられ、回心させられ、再生させられてきたのであって、それも見る人々を驚かせたというより以上に当人自身をびっくりさせるような変わり方で、したがって私たちは愛の力によって救われる望みがないなどとは、何人についても前もって確信することはできないのである。

A picture that works on nerves

 今年も残すところわずかなんだけど、ここへきていろいろなことが起きている。展開がすごく早くて、皆が大きな変化を遂げているのに、自分は相変わらず、ここで、いつもの仕事をして、絵をたまに描くような日常がもどかしい。

 変化に対する最初に抱く感情は恐れらしい。確かにそう思う。下に描いているような自然は人間にとって変化を感じさせるようなものではないから、恐怖も感じない。

 しかし、私も人間社会の中で生きているのだから、変化に適応することは求められる。しかし、私も他の人と同様にあるいは他人以上に、変化にさらされたときに恐れを感じます。

 変化の中では良いことも悪いことも起こっているのだから、悪いことには巻き込まれず、良いことを選択すればよいのだと思う。何も起こっていないときは自分の良い面を押し出して行ければよいんだけど。嵐が過ぎ去るのを、じっと待っていないといけないようなこともある。

 セザンヌ、後期印象派をモチーフにして絵を描いているんだけど、筆触をどう運んでいいのかよくわからなくて混乱してる。特にこうと決める必要もないんだろうけれど、もう少し、展開させたい。

 ホックニーがひたすら木を描いているのを見て真似したくなり、下の絵を描いたんだけど、僕の場合は、神経症を何とかしたいという思いからやっている作業でもあるので、キャンバス、絵具、筆、自分の身体を用いて神経にダイレクト働きかける絵を実現したいと思っているんだと思う。

The Trees at Tokyo Port Wild bird Park