Traffic Violation

Yesterday,in Tokyo,Olympic Games is Held Opening Ceremony.Lately,I Understood this Modern Olympic event is not Democratic, so I am against this Event.Tokyo Metropolitan Goverment ofiice which is placed in shinjyuku had a opening ceremony at noon,and Nolympic Demo is Held here.

My Uncle and Aunt who is Medical Doctor lives in Shin Okubo City which is near Shinjyuku,and They say to me ,If you want to use Parking place,you can use there anytime.

Yesterday,I went to My uncle and aunt house,and I turned right to the street of their house,Two Police man noticed my right turn to their street.untill Next my Birthday,My Traffic Point is low,so I could not have Violation,but they gave me a ticket -2point,and 7000 yen.Oh thanks my God.

No Olympic In Shinjyuku

No Olympics In Shinjyuku

Almost 750 people gather for this No Olympics Demo.Yes I made my placard,and I Joined them.We acted twice yesterday,and From 18:30 ,We gathered Harajyuku station and I remember Sunset is very beautiful.At Last stop,we called at Sendagaya Station Staff wanted Volunteer of Translation Japanese to English,I regret why I could not my hands up.

In My heart,My role is ended,But on the way to my house,I felt I still have something I can do.

Sunset from Chidori Bridge,Kawasaki

Concepts 自分のための覚書

 日曜日のこの時間がなかなか有効に活用できなくて。

 いつも春先に台場区民センターで絵を飾ってもらっているのだが、今年展示したときに、見てくれたある女性の方から、12点の絵に一貫性がある的なうれしい言葉をもらった。その人は絵画についてのかなりの観賞と経験のある人だった。

 僕自身はまだ、ぼんやりしているんだけど、何となく自分なりに、概念(Concept)というもの理解し、表現に落とし込めている面もあるのかもしれないと思うところもある。

 ドゥルーズは、哲学とは概念(Concept)の創造であると言いました。では概念とは何でしょう。それはそもそも「孕まれたもの(Conceptus)」という意味です。「概念にする、概念化する(Conception」という言葉も「妊娠(Conceptio)」という語に由来します。「マリアの受胎」はConceptio Mariaeと言います。だからキリストはマリアの概念化(Conceptio)によって産み出された概念なのです。(切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話 佐々木 中 河出書房新社 P.24)

 いきなり引用で申し訳ないですが、こういうことになります。その後も重要な文章が続くのですが、とりあえずここまで。俺女性じゃないし、今、誰かと付き合ったり妊娠させてもいないんですけど。。。いや、昔、結婚していたこともありました。子供もいます。なので、身近に妊娠した、させた人はいました。ふー。

 当時と比べて、世の中が変わっていることは沢山あります。にもかかわらず、なぜマルクスがいまだに重要だと言われているのかといえば、それはマルクスが創造した概念の射程が非常に広いからです。何かしらの本質をつかんでいるからこそ、今日なお読まれるだけの価値があるのです。

 本書では、マルクスにおいて特徴的ないくつかの概念を深堀りしていきたいと思います。マルクスが十九世紀のイギリスという現実を見てそこから得た概念、それは現在にも十分通用するものです。(中略)だからマルクスの目を通して見る、言い換えればマルクスが創造した概念を通じて見ると、今起こっている現象の本質が『資本論』の中に鮮やかに描かれていることがわかるし、逆に『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラッと変わってきます。(武器としての「資本論」 白井 聡著 東洋経済新報社 P.20)

これまた偏った人ですみませんが。資本論はぶっちゃけ難しくて、ギブアップしてるんだけど、マルクスという人が概念を掴んでいたということが汲んで取れますね。

 なんか難しいことのように聞こえますが、どっちも身近にあるものです。今日本のどの街にも大体キリスト教会ってあるし、この間の選挙でも、どの区でも共産党の候補が立候補していて、選挙権のある人なら、投票することができるという関係性の中にあるものです。

 広告表現だってコンセプチュアルなものってあるし、ましては、音楽、文学、絵画などはコンセプチュアルなものって良くありますよね。

 うっすら輪郭までわかるのですが、さて。いまから僕がやろうとしているのは、まあ援助のためのコンセプト的な、なのでこういう難しい話ではなくて、エンパワメントの失敗による犠牲者を出さないよう概念を皆で学ぶ時間と機会を作ろう的なことなのですが。そこに上で書いたようなことが絡んでくるんだと思います。つまり、もう答えは出ているんだけど、理解していないから、学び、そこから現在を見ることで、今の自分の現実の見方がガラッと変わってくるような経験を一人ではなく、仲間とやってゆくんだと思います。

Beach,Chiba,Kazusa-minato

#Nolympic Day

 葛藤がありながら、矛盾した自分を抱えて、行って来ました。手製のプラカード作って、UndercoverのT-shirts着て、コンバースのスニーカー履いて、Beastie Boys聞きながら。恥ずかしいよいい歳こいて。反抗期かよ俺。

 6/23(水)都庁前で正直雰囲気はかなり良かった。街を歩いているときの解放感がすごかった。自分の居場所に戻ってきたような感覚があった。800人程度集まり、コースも良かったし、主催者のやり方は、アメリカ、ニューヨークのやりかたを踏襲するようなもので参加して、これからの社会、世界を考えるうえで非常に勉強になった気がする。もう少し募金しとけばよかった。

 終わってから何も食えてないことを思い出し、懐かしの新宿署の隣のコンビニで揚げ鳥と一本満足のプロテインバーを買って食べる。帰ってきて本当は晩飯を食べようと思っていたのに、意識を失って寝てしまう(寝落ち)。その後の今日にいたるまで、何故か財布の中身がすっからかん。銀行に行けばいいんだけど、何となく、デモに行くってことは全財産失うようなもんだなって気がして面白い。

 しかし、新宿署の入り口を見たとき、自分がどんだけ他者性がなかったのかを思い知らされた。こう書いても何が何だか訳が分からないでしょうけれど。。。

 車を第2都庁舎に停めていたため、都庁舎の前を通ると多分新宿署の人たちが、デモ用の赤いコーンなどの交通規制の片づけをしていて、思わずご苦労様ですと声をかけると、向こうからも声をかけてくれた。国会前で反原連の最後の時は警察と、永田町駅への通行規制のことで喧嘩してしまったが、今回は、そうでもなくてよかった。

 反五輪のキャンペーンに賛同し、ENEOSのVISAカードずっと使ってたんだけど、やめる段取りがやっとついてきた感じ。解約の手続きのやり取りしてると、俺が解約することなんて、向こうにとっては屁でもないんだろうな思いながら解約してる。だから、まあこれ一つの些細な意思表示というか、些細な抵抗でしょうね。

 でも、あの都営浅草線の経理部長のことは怪しいと思う。ネットで見ていてもそのずさんな金銭感覚は僕らの比じゃない。東京都の金銭感覚がおかしいことは割と有名な話だ。これはNHKとかTV局に関しても言える。昔でいえばNTT-DATAか。

Sunset at Kazusa Minato,CHiba

全然、アクセスがない

 David Lynchも書いていたが、僕のこのホームページって、リピートする必要性が感じられない。一回アクセスしてしまえば、2度と来なくていいような仕組みになってしまっている。私の生き方がそういうものになってしまっているということか。なのですこし、仕組みというか枠組みを変えないと意味がない。

 Kylie Minogueの新曲、Miss a thing。アルバムの中では間違いなく一番いい曲で、歌としてもすぐれているんだけど、いかんせんこのVideoはないなと思う。やっぱり、自分とは思想的に違う生き物なのかあるいは自分が現実を勘違いしているのか。

 これにもはまっていた。1994年にClub Cittaで行われたライブに行ったことがある。印象的だったのは前座で出てきたBoredomsが主役のBeastie Boysをライブでは食ってしまったことである。今になると、その前の来日時の脱線3の失敗を、Beastie Boysかあるいはシーン自らが修正しようとして、そうなったことが分かる。なのでやっぱり私にとっての彼らの最高傑作は”Check Your Head”で、この1曲となると”Pass The Mic”だ。当時、AD-Rockのあの臙脂色のおやじシャツに友達と大笑いしてたんだけど、いまはあんとき金なかったんだなということが分かる。金がなくなったからサンプリングやめたというのも面白い。本来、Hip Hopって逆のような気もするが。

 MCAがHip Hopだったんだとか、Mike-Dがまとめているようで実は一番めちゃくちゃだったとか今になってわかることが色々ある。

 僕もリンク張るのやめないと。

色褪せたメイデイは形を変えて甦るのか

 会社の人たちがLewis Leathersの革ジャンにはまっててうらやましくて、僕も買いたいななどと思っていたのだが、あきらめて白山眼鏡店で老眼鏡でも作ろうかなと思っていたんだけど、さらにあきらめて、昨日、晴海Toriton SquareのJinsで老眼鏡作ってしまった。いや、よく見えて凄いうれしい。老眼鏡を作る際にフランシス・ベーコンの文庫本出したら、店員さんが妙に納得していたのでちょっと不思議な感じ。あんなものが、普通に受け入れられるなんて。普通の人知らないような世界観のような気もするが、Googleニュースにもフランシス・ベーコン上がってくるので、もはや、みんな知っているということなのだろう。あの狂った世界観を。

 なんかトリトン スクエア、子供だらけだった。100円ショップがでかいし。全然ビジネス街じゃないんでびっくり。

話は変わるが、昔、(といってもここ数年前)、大西先生に労働者の運動というものは昔は(パリ コミューンの頃)国際的なものだったのに、今はそうではなくなってしまったという話を聞いたことがある。

 確かに、僕もここに住んでいて、ちょくちょく運動や集会に顔を出しているが、近年は”憲法記念日”に有明防災公園に大勢の人が集まり、蓮舫がスピーチしたりしていたが、メイデイ5.1ってあんまりイベントはない。

 と思い一応赤旗チェックしてみたら、今日の午前11:00からyoutubeの『メーデー見える化』で視聴でき、10:30からメーデーの歴史動画や海外労組のメッセージなども視聴できるようです。

 いや、IT時代になり京都大学、慶応大学もあてにならんな。。。というよりも運動の中にも、硬派や軟派がいて成り立っているということか。僕は、どちらかというと新参者なので後者かもしれない。

 本屋に行っても斎藤幸平氏の本が目立つ。氏が良いのはマルクスの晩年の到達点を積極的に評価していることだろう。それこそ大西先生のような硬派のマルクス主義者を軟派な幸平氏みたいなのがやっつけているさまをみると実は胸がスカッとする。(先生には悪いけど)しかし、運動とか人間、人類の進化の過程ってそんなもんじゃないだろうか。

 もう一つは、この資本家と労働者の衝突の軋轢に耐えられなくなって、逃げ出す人たちの逃げ方に興味があるというは、僕だけだろうか。群れを離れるものに関心が行ってしまう。家族を離れて、自立する人、施設を卒業する人。皆となじめずにいる人、自分がそうだったからか。私が思うに、その人の中で何かが起こらないと群れを離れることはできないと思う。(心の内でひっそり一人で決断する)その人の中で何かを起こすもの、それもやはり集団なんだろう。

3 Bottles of Perrier(MURAKAMI)

深い闇

 何となくもう限界という感じだ。

 通っている教会の神父さんがこう言っている。”もうダメだと思った先に道がある”と。

 購入した無印良品の白いシャツは怪しいし(ウィグル族の強制労働問題)、DJのアプリは素晴らしいのに、機会がないことや、ガースーはアメリカでオリンピックやるとかほざいてる。皆、このアプリ使って、ZOOMでガンガンDJやったほうがいいと思うよ、私。ソースはBeatportで。apple musicの曲もWAVファイルに変換できるのかな。apple musicも今、昔のdiscoのlong versionとかすごい手に入る。First Choiceとか

 しかし、この素晴らしいと思われていた、philladelphiaの裏で、David LynchのEraser Headのような世界が展開していたのだから、アメリカの闇は深い。今の日本みたいだ。

Converse CT70(Blue)

無名であること

 ポッドキャストのハワイーオレゴンで働くラジオが面白い。

 コロナのワクチン接種が始まり、動き始めたアメリカ社会の中で、焦りまくっている働くお母さん2人の正直な胸の内が、伝わってくる。変に社会で売れてしまっている人たちの話より、無名な人たちの話、アンダーグラウンドな人たちの話のほうが響く時代になっているという恐ろしい時代。

 まん延防止策も結構強烈に来ている。正直私にとっては、前回の緊急事態宣言と同じ効力を持っている。

 自分自身も体調あまりよくない。朝、熱を測ったら36.9°あった。色々、集まりやボランティアもキャンセルしてもらって、ダイエットもせず、食べて寝ている。

 そういえばすみません。もしかしたらDJやることになるかもしれません。ZOOM上のクローズドな集まりの中だけど。あるいは誰かにお願いするかも。今そこで最後にかけようかなと思っているイメージあるのはこの曲。全然無名じゃないけど。

 こうして文章を書いているといろいろと自分の苦しさや焦りが見えてくる。ただでさえ社会に取り残されて、今も港区にはいるけど、港湾労働者の住宅という社会に取り残されたような人たちもいる中で暮らしているんだから、毎日焦る。こんなことしてて意味なんかないよ、全然、自分がしていることが的外れかもしれないと。

 あのラジオを聞いてるともう一人の女性が、” 分かる。分かるよ ”と言っているんだけど、あの言葉が結構大事。バイデンにないものはあれなんだろう。それはたぶん私にも言える。これがDJをやることの難しさだし、自分が逡巡してしまうところなんだと思う。

Sunset at Kasai Rinkai Park

葛西臨海公園の夕陽

異端であるということ

 なんとJTBが資本金23億円を、減資して1億円にしてしまった。あっという間に、僕の目の前では、新しい社会が始まっている。JTBはここから、天王洲に走るジョギングコースにある会社だし。

 MixCloudで亡くなったJose Paddillaが何度もかけていた曲を、PCからAnkerに繋いで、Shazamで検索してみたら、なんと日本人アーティストの曲だったことが分かる。

You Are Music-Laidbook(Origami Production)

 この間、フランシス・ベイコン・インタウ”ュー デイヴィッド・シルヴェスター 小林等訳 ちくま学芸文庫の保坂健二郎氏の解説によると、遠いと思っていた巨匠の存在が意外と日本(氏への歌川 国芳の影響やベイコンのアトリエから柔道や空手の教本が発見されていて、技の写真が載っている)と近いということが分かってくる。

 これはバレアリックに関しても同じだ。笠井 紀美子、Budda Brand、オイランetc、品川プリンス、江の島Freedom SunsetなどJose Paddillaと日本の繋がりはわりと深い。

 ここで氏の文章が分かりやすいので、その全文を掲載しておこう。

 ”こうした発見からわかるのは、色鮮やかなフラットな色面と歪んだ人物像による絵画という構成が、ベイコンの作品を研究し続けている者にとって、そのソースを極東にまで探し求めたくなるくらい特異だということである。そしてさらにそこからわかるのは、もし彼の絵がそれほど特異ならば、今ここで私たちが確認しなければならないのは、ベイコンの特異な絵画がどのように生まれたかでは決してなくて、なぜ生まれたのかを改めて考えること、すなわちベイコン研究の再転換の必要性である。”

(ほさか・けんじろう/東京国立近代美術館主任研究員)

 バリージュールコレクションも、渋谷の松濤美術館での展示が決まったそうです。

Post Modernの終焉宣言

 明日から台場区民センター2階図書室脇にて、アクリル画12点展示予定です。

 さて、表題の件ですが、僕が学生時代から憧れていた建築家・思想家のI氏がLuois Vuittonの仕事をすると聞いて、私の反骨精神に火が付き(今なら巨匠に勝てる、モノにできる)と思い、下の絵を描きに御殿山ヒルズに行って来ました。

 私は物心ついた時から、ポストモダンで、父は近代主義者のような人だったのですが、いま、コロナ禍のこういう社会になってみてわかってくるのは、ポストモダンの問題点は資本主義に肯定的だったところのように思います。巨大になった資本の動きに対して、追従的であっては、近代主義を乗り越えることができないように思います。I氏は日本の自律性を守るために近代主義に反を唱える形で活動したという点や協業する人たちや歴史的な人物像をを等価に見つめる視線は明らかに世界的な巨匠だし、国家批判ができるという点でも(つくばセンタービル)たぐいまれなる人なんだけど、資本主義そのものに対して、自分が取る態度が無自覚だったように思います。

 だから、結果的にはポストモダンムーブメントは資本主義に飲み込まれてしまい、その作家性を失ってしまったように思います。

 では、今、作家性とは社会に対してどういう態度をとるべきなのかということを、まあ、自分なりに展示したり、表現したりできたらよいなと思ってやっているのですが。

 人に勧められて(元日本共産党 港区議の大滝実さん)今、読んでいるのは

人新世の資本論ー斎藤 幸平

 一説にはピケティを超えたといわれているのですが、この本で述べられているのは、まだ読んでいる途中ですけど気候変動による人類の、地球の環境問題を解決するためには資本主義を乗り越え(解体し)ないといけないということです。今までの僕の理解だと、高度に発達した資本主義社会の上で、国民的多数の合意のもとに社会主義的な新しい社会が形成されるという認識でしたが、この本だとコロナ禍も含む人類による気候変動や環境への人為的な介入による被害を食い止めるためには、資本主義を乗り越えるのではなく、資本主義の息の根を止めないといけないという表現になっている。

 暴走し、巨大化する資本を解体し、人々の手に還元したうえで、各人が合意の許に新しい社会を生きてゆきましょうということだろう。

 コロナ後の社会の在り方については教皇フランシスコも著書を発表し、1970年代に始まった新自由主義への批判を行っています。

 私からするともしかしたら、巨匠がメゾンを解体するかもしれないという気もしないのではないのだが、それはないだろう。

 私自身も港湾労働者なので、メゾンを破壊することは難しい。しかし、巨匠が御殿山(殿様の屋敷から外資系のホテル、米軍御用達)に建てた茶室を描いて、人々に無償(Non-Profit)で展示することは、私なりに暴走し、巨大化する資本を解体し、人々に還元する行為だ。この絵を見た人が、立ち止まり、そして、自分たちの行動で環境がどう変化してしまったのかを感じ取り、新しい社会を生きてくれることを望んでやまないです。

 ここでひとつ言っておきたいのはBrooks Brothersが廃業したことで、アメリカのメゾンはお終いなのではという点ですが、私の認識では、新しい社会像の一つやヒントは、アメリカの人々から出てきていると思います。そのことはここでは文章で表現できませんが、展示する絵の中には入っています。アメリカがすごいのは多様性を内包しながら動いているので、必ず自分たちの問題も含まれていることです。

Yujiann,Shinagawa

イノベーション Innovation

 昔働いていた会社の社長、Yさんに言われたことがある。編集者はイノベーションを起こす。と

 スティーブ・ジョブスが言っているように、お金の問題ではない。かれがAppleⅡを作ったとき、MacintoshはIBMの予算の1/10程度しかもっていなかったそう。人々を熱狂させるものを作ることというのはお金ではないのだ。

 イノベーションのことは母が昔辞書を引いて教えてくれたことがある。”刷新”。すべてが変わってしまうようなことだろう。最近はしょっちゅうそういうことがあるので恐ろしいが。

 私が思うイノベーションの原型って、アインシュタインの相対性理論や、コペルニクスの地動説みたいな感じだ。日本人にとっては第2次世界大戦の敗戦とかもそうなんだろう。しかし、勝てると思っていたってすごい。

 この間、タイミングが合って観てきました。

 渋谷のImage Forum。見終わって具合悪くなったんだけど、監督は今ベルギーから引っ越してギリシャに住んでいるそう。すごいかっこいい監督なんだけど、なんか暗い部屋からZoomでつながっていて、おちょこみたいな白い杯で、なんか飲み物飲んでいた。

びっくりするようなことばかりだよ最近。本当に。

Two Oranges&Big Apple