去年は正月に台湾へ行っていましたが、今年は東京にいました。しかも、実家の両親のところには顔を出さず、港にある自分の部屋を中心に、ただウロウロしていました。絵も描いてはいたのですが、最近はかなりChatGPTに制作過程を見てもらうようになり、時間をかけてもなかなか進まない絵に、ひたすら向き合っていました。
10月からこのブログに何か書く気が起こらず、久々に投稿するということは、自分の中で少し立ち止まって考える時間が必要だった、ということなのだと思っています。
そうこうしているうちに、いろいろなことが過ぎ去っていきましたが、収穫もありました。ヒューマントラストシネマでデヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を観られたこと。有明海の森公園に行ったこと、そして昨日はエコプラザ主催の野鳥見学で東京港野鳥公園を歩き、メジロなどの野鳥を見られたことです。とにかく立ち止まりながら、日々のルーティーンをこなしています。
そう、今年の正月は静かでした。年越しそばはカップラーメンで、誰かと一緒にいたわけでもありません。街を車で走らせていても、人の身なりは決して派手ではなく、渋谷や新宿の雑踏に立ってみても、あふれんばかりの人流と派手な人々は確かにいましたが、どこか浮ついて見えました。羨ましいという感じとも、少し違っていました。街に祝祭の空気は感じられませんでした。
12月最後の土曜日には、有明・虹の大橋から花火を観ましたし、Night Walkのイルミネーションも歩きました。それでもどこか、場末のサーカスのように感じられました。もっとも、その感じが、逆に文学的でもありましたが。
この妙にズレた感じが、今の東京の空気感なのだろうと思います。ずっとその空気を理解してはいたはずなのに、自分の中ではそのズレに苛立ち、無理に盛り上げようとして、かえって苦しくなっていたような気がします。けれど今は、そのズレた空気感そのものを、はっきりと言葉にできないまま、表現に落とし込めているような気がしています。自分自身の生活もまた、その中にあります。
私が感じているこのズレは、ただの違和感ではない気がしています。整えられ、説明され、管理され尽くしたはずの都市が、いまなお手放していない、ささやかな抵抗の痕跡が、日常のあちこちに残っているようにも思えるのです。

