創作について ~ロベルト・ボラーニョ

 土曜日に六番町で行われたインスティトトゥト・セルバンデス東京文学トーク ロベルト・ボラーニョ・トリビュート 野生の探偵の軌跡2003-2023に行ってきた。

 確かに彼に関しては、ブームが少し過熱しすぎて、過大評価されているような面もあるし、私も含めて、名前につられて内容を殆ど思い出せないというような面もあるんだけど、彼が他の作家とどこが違うのかを決定的に分かったような面があった。(自分も含めて)

 作品をつくるということは、何かを象徴化するという側面があるんだけど、その象徴化作用によって、作家を特権化してしまうような側面があって、それが所謂マウントだったりいじめのようなもの的な側面へとつながってしまうようなところがあるんだけど、ロベルト・ボラーニョはそこに作品と存在で切り込んでいるというような話だった。

 例えば東日本大震災みたいなものが起こり、原発事故のようなものが発生した場合、その被災のダメージみたいなものは全ての人に等価であるはずなのに、それを人間が報道やドキュメンタリーという形で情報化した場合、そのダメージに優劣が付き震災のことが象徴化されてしまうんだけど、ロベルト・ボラーニョは2666の中でメキシコのシウダーファレスで起こった女性連続殺人事件(所謂フェミサイド)の描き方で象徴化によって付けられる優劣みたいなものを回避しているということだった。

 だから、ロベルト・ボラーニョを読むような、自身も文筆業をしている女性は、彼のことを友達ととらえる。

 こうして書くと簡単に思えるけど、僕だって絵を描くことで獲得してきた優位性を今まで存分に享受してきたし今更そんな立派になれないよと思ってしまうけど、たしかに、今自分が立っている場所から何とか意味のあることを人の役に立とうとしながら、自分や家族を生かしてゆこうとなるとそういう挑戦になっていくような面がある。訳者の人が仰っていたが、文章から”この作家は信用できる”ということになるのだ。

 そういう意味で、彼は今までにいた作家とはいる次元の違う新しいタイプの世界的な作家であり、震災以降、シウダーファレス以降を生きている私たちは、ボラーニョ以降を生きているのだと思う。

 ラウタロ・ボラーニョという息子さんがZoomで登壇し、すごくシャイな方で漫画のアキラのことなども話題に出た

Fussa Base Side Street

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