全体性から逃れるために

昨日から急に今まで見れていたTwitterのアカウントが見れなくなった。(私は、昔はやっていたんだけど、今はアノニマスの関係もあって自分でアカウントは作っていない。自分の問題もあるんだけど)このTwitterの情報から、入管法やオリンピック反対などのデモの情報を得ていたので、見れなくなることは私にとっては表現の自由の機会を奪われていることになるのだから恐ろしいのだけれど、何故か、まあいいやと思ってしまっている自分もいる。

 加えて、香港。思い立ってバカンスで香港に8/10-14まで行こうと思い、チケットをとりホテル(Ramada Hong Kong Harbour View)も予約したら昨日付けの赤旗の1面に国家安全維持法が導入され街の様子が様変わりしてしまったという記事が載っていた。

 この土日は東京も雨で、職場の人たちのムードも何となく暗いムードだったんだけど、FM東京ではBelinda CarlisleのHeaven is A Place on Earthが掛かっていて、メッセージを発している人は、発しているなあと思った。

 私がここで書きたいのはそう、私は一応、絵を描く人なので、このことに関しては人と同じことをしていてはいけないなあと思っていて、他者とつながっていることが大事だなと思う反面、藝術のためにはやはり、生き方でもって全体性から逃れてメッセージを発していきたいとも思う。

 上記、Twitterと香港に関して言えば、Twitterに関しては見れなくなったことで人と本当の繋がりを取り戻せるかもしれないということ、香港に関しては今回は静養、リトリート的なヴァカンスで行くつもりなので肯定的に受け取りたいということです。

 そういえばこの間アメリカンエクスプレスから事業用のカードの案内が来ていて、申し込むと私の場合はうまくやると30000円のポイントがもらえると。初年度年会費無料で翌年から2200の年会費。このスペースの事業用の融資という感じでトライしてみている。どうなることやら。

 しかし。。。今、ロベルト・ボラーニョのはるかな星を読んでいるんだけれど、どうしても、この不穏な空気から逃れることはできない。ロベルト・ボラーニョに見えるのは、勇気をもってこの不穏な空気を積極的に藝術の主題にあげているような気がする。

 私がやっているのはただこの不穏な空気への抵抗運動のようなもののような気がする。ここでもう一度自分の考えを整理すべく、この間最後に観れた教皇フランシスコのTwitterでの芸術に関する言葉を引用しておこう。

 ”藝術を信仰に近づけているものの一つは、どちらも心をかき乱すという点です。藝術も信仰も、ものごとをそのままの状態にはしておきません。それらは、ものごとを変化させ、つくり直し、動かし、変容させるからです。”(教皇フランシスコ)

Sunset at Toyosu

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