良心 Conscience

環境問題についてポストしたんだけど、削除してしまった。自分と他者との関係の考えがまとまらなくて。

 絵に関しては下の奥多摩湖の絵以来アイディアが浮かばない。セザンヌの画集ばかり見てるんだけど、もう少し、夕方に行って、オレンジが入れば良かったなと後悔している。藝術には憂いというものがないと成立しないと思っているのだが、下の絵には憂いがない気がする。ある意味今の時代の悪い特徴かも。

 佐久間裕美子氏のTwitterのポストで、コロナ禍でアメリカで週5000$稼ぐ流離の看護婦がいるという話を聞いた。僕も今住んでいるのは会社の寮で、50代前半の年齢で、そのうちここを出て、できれば都内に居を構えたいので、ここらで一発それくらい荒稼ぎしたいななどと、妄想だけしている。会社辞めないとだめだろうな。。。今の日本だったら適当だから大丈夫かも。。。

 それくらいやるんだったら、企画書の一発くらい書かないとだめかもしんない。

 最近考えているのは、良心のことなんですけど。英語だとConscience。

 いや、藝術がやりたいというときにはもちろん上記に書いたように憂いというか、心の闇というかトラウマとか愛の欠乏みたいなものが必要なんだけど、何か集会を開くとか、他者の役に立ちたいというときには良心が必要だと思う。自分自身もそうなんだけど、他者と触れ合うときも、その行為やコミュニケーションが良心からくるものなのかということって意外に大事。日本国憲法でも思想と良心というものは自由だと定義されている。

Lake Okutama

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