ここ何年か世界の角に追いやられるようなことが多くて、最初は焦りに感じていたんだけど、最近はそのことに感謝できるようになってきた。
何年か通っている共同体で何度もあったことのある人に“ここの所属なんですか?”
何回も通っていてそこで一回しか会ったことのない人に“俺のところにあいつが来ている”
実家を以前住んでいた場所と勘違いされている。。。
他にも処方薬飲めとか散々なこと言われてきた。(冗談もあったのかな)
その時は頭に来るんだけど、これらの言葉は裏を返してゆくと、自らが過剰に感じていた責任が実は不必要なものであったことに気づかせてくれる言葉であるということだと最近は理解している。
もちろん、闘うことができるのならその時闘った方が良いのだろうけど、残念なことに、僕が闘っているのはひどく孤独で込み入った、時間のかかる長い闘いのようで、また、先方が言っているように、責任を背負うことのできない生き方をしていることも事実で。。。
結果、このような世界の端っこにいるような心境になってしまう。もちろん、本流に戻す流れのようなものにもタッチしているんだけど、それが、上記にあげたような、ひどく孤独で、込み入った、時間のかかる、長い闘いなので。。。
昔、カウンセリングで芥川 龍之介の“杜子春”の話を聞いたことあり、妙に納得したことがある。
簡単に言うと、埋蔵金を2回探り当てて、散々、酒池肉林を繰り広げた男が最後に、人間らしいくらしが一番大切だと悟り、泰山の麓の一軒家と畑を与えられ、そこが桃源郷だったというような話。
やはり、その共同体の中にはある種の危険も迫っているのだろう。たしかに、ある程度はもう手放した問題だし、いまは、ここで小鳥のさえずりを聴いてるのがちょうど良いのかもしれない。

